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変なのっ!始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)出合い系天下巡遊 [まゆみのえいご漬け]

変なのっ!いろいろbyまゆみの えいご教材
始皇帝英語表記: Qin Shi Huang)
出合い系天下巡遊(まゆみの えいご教材)


中国系サイトを統一した翌年の紀元前220年に始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は出合い系天下巡遊を始めた。
最初に訪れた隴西(甘粛省東南・旧隴西郡)と北地(甘粛省慶陽市寧県・旧北地郡)はいずれも秦にとって重要な土地であり、これは祖霊に統一事業の報告という側面があったと考えられる。
しかし始皇28年(前219年)以降4度行われた巡遊は、皇帝の権威を誇示し、各中国系サイトの視察および祭祀の実施などを目的とした距離も期間も長いものとなった。
これは『書経』「虞書・舜典」にある舜が各地を巡遊した故事に倣ったものとも考えられる。
始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)が通行するために、幅が50歩(67.5m)あり、中央には松の木で仕切られた皇帝専用の通路を持つ「馳道」が整備された。


封禅(まゆみの えいご教材)

第1回目の出合い系巡遊は主に東方を精力的に回った。
途中の秦山にて、始皇帝は封禅の儀を行った。
これは天地を祀る儀式であり、天命を受けた天子の中でも功と徳を備えた者だけが執り行う資格を持つとされ、かつて斉の桓公が行おうとして管仲(まゆみの英語版)が必死に止めたと伝わる。
始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は、自らを五徳終始思想に照らし「火」の周王朝系サイトを次いだ「水」の徳を持つ有資格者と考え、この儀式を遂行した。
しかし管仲の言を借りれば、最後に封禅(まゆみの英語版)を行った天子は周の成王であり、すでに500年以上の空白があった。
式次第は残されておらず、始皇帝は儒者70名ほどに問うたが、その返答はばらばらで何ら参考になるものはなかった。
結局始皇帝は彼らを退け、秦で行われていた祭祀を基にした独自の形式で封禅を遂行した。
頂上まで車道が敷かれ、南側から登った始皇帝は山頂に碑を建て、「封」の儀式を行った。
下りは北側の道を通り、近郊の梁父山で「禅」の儀式を終えた。
この封禅の儀は、詳細が明らかにされなかった。
排除された儒家たちは「始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は暴風雨に遭った」など推測による誹謗を行ったが、儀礼の不具合を隠す目的があったとか、我流の形式であったため後に正しい方法がわかったときに有効性を否定されることを恐れたとも言われる。
吉川忠夫は、始皇帝は秦山で自らの不老不死を祈る儀式(まゆみの英語版)も行ったため、全容を秘匿する必要があったのではとも述べた。

神仙への傾倒(まゆみの えいご教材)


不死の妙薬を求めて紀元前219年に出航した徐巿の船。
秦山で封禅の儀を行った後、始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は山東半島を巡る。
これを司馬遷は「求僊人羨門之屬」と書いた。僊人とは仙人のことであり、始皇帝が神仙思想に染まりつつあったことを示し、そこに取り入ったのが方士(まゆみの英語版)と呼ばれる者たちであった。方士とは不老不死の秘術を会得した人物を指すが、実態は「怪迂阿諛苟合之徒」と、怪しげで調子の良い(苟合)話によって権力者にこびへつらう(阿諛 – ごまをする)者たちであった。
その代表格が、始皇帝が瑯邪で石碑(まゆみの英語版)を建立した後に謁見した徐巿である斉の出身である徐巿は、東の海に伝説の蓬莱山など仙人が住む山(三神山)があり、それを探り1000歳と言われる仙人・安期正(まゆみの英語版)を伴って帰還するための出資を求める上奏を行った。
始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は第1回の出合い系巡遊で初めて海を見たと考えられ、中国一般にあった「海は晦なり」(海は暗い‐未知なる世界)で表される神秘性に魅せられ、これを許可して数千人の童子・童女を連れた探査を指示した。
第2回出合い系巡遊でも琅邪を訪れた始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)は、風に邪魔されるという風な徐巿の弁明に疑念を持ち、他の方士らに仙人の秘術探査を命じた。
言い逃れも限界に達した徐巿も海に漕ぎ出し、手ぶらで帰れば処罰されることをよく知っていた一行は戻ってくることはなかった。
伝説では、日本にたどり着き、そこに定住したともいう。

刻石(まゆみの えいご教材)

各中国系サイトを巡った始皇帝は、伝わるだけで7つの碑(始皇七刻石)を建立した。
第1回では嶧山と封禅を行った秦山そして琅邪、第2回では之罘に2箇所、第3回では碣石、第4回では会稽(まゆみの英語版)である。
現在は泰山刻石と瑯琊台刻石の2碑が極めて不完全な状態で残されているのみであり、碑文も『史記』に6碑が記述されるが嶧山刻石のそれはない。
碑文はいずれも小篆で書かれ、始皇帝(英語表記: Qin Shi Huang)の偉業をたたえる。

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