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変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(8) [変なの?英語教材]

変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(8)

斉を占拠~酈食其に数奇な出合い系悪縁



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劉邦(英語訳 Liu Bang)は韓信(英語 Han, Shin)を斉に向けて送り出した後、酈食其(れきいき)という説客を斉に派遣し、降伏を促します。

韓信の軍が迫っていた影響もあり、斉はこの降伏勧告を受け入れます。

しかしこの命令には問題があり、劉邦はどうしてか韓信に対し、事前に酈食其を派遣したことを知らせていませんでした。

このため斉の降伏の知らせを受けた韓信は進軍をいったん停止しますが、蒯通(かいつう)という弁士にそそのかされ、斉への侵攻を再開します。

その時の蒯通の言い分は以下の様なものでした。

「酈食其は弁舌だけで斉の70城を降しましたが、このままだと韓信様の功績は儒者に過ぎない酈食其に劣ることになります。
(韓信がこれまでに降した城は50城であったため)進軍停止の命令は出ていないのだし、このまま攻めこむべきです」

実際には韓信軍を恐れたからこそ斉は降伏したわけで、韓信の功績と言えなくもないのですが、韓信はこの蒯通の言葉を受け入れ、斉に攻め込みました。

そして降伏したことで油断していた斉の諸城は簡単に陥落し、韓信は斉の占拠に成功します。

だまし討ちを受けた結果となり、怒った斉の王は逃亡する前に酈食其を釜で煮殺してしまいました。
こうして韓信は酈食其を犠牲とすることで斉を制圧しました。

しかしこの時の韓信の行動が劉邦に咎められることはありませんでした。

もともとは劉邦が韓信に無断で、二重に命令を出したことに問題があったからです。

もしかしたら、劉邦は韓信が鮮やかに戦功をあげ続けることに危惧を覚え、酈食其に外交的な成果をおさめさせることで、韓信の功績を抑制しようと考えたのかもしれません。

一方で韓信は先に、劉邦に理不尽な形で自軍を奪われていましたし、蒯通のそそのかしに乗ったのは、その意趣返しの思惑があったとも考えられます。

この頃から劉邦と韓信の関係には、軋みが生じ始めていたと見ることもできるでしょう。

臣下があまりに大きな功績を上げると、やがて主君を凌駕してしまう可能性もあり、劉邦は優秀すぎる韓信の存在を、だんだんと恐れつつあった、ということでもあります。

この劉邦の恐れが、やがて韓信の身に危機をもたらすことになります。



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変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(7) [変なの?英語教材]

変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(7)

燕を降し、劉邦の軍勢略奪との出合い系ご縁



趙を占拠した韓信(英語 Han, Shin)は、趙の将軍であった李左車(りさしゃ)に助言を請います。



そして「趙の北東にある燕は、使者を送って降伏を促せばそれを受け入れるでしょう」と言われます。



実行してみたところ、李左車の言うとおりに燕は降伏し、軍を送るまでもなく韓信は燕を劉邦陣営に組み込むことができました。



この頃にはあっというまに二国を降した韓信の強さが周囲に鳴り響いており、これには抗しがたいという空気が生まれていたのでしょう。



こうして中国北部を平定した韓信は、軍の編成と訓練のため、修武という土地に駐屯します。



しかしある日、不意に成皋(せいこう)で籠城していたはずの劉邦がこの修武に姿を現し、韓信から軍を奪ってしまいます。



劉邦(英語訳 Liu Bang)は項羽軍の攻撃を受けて激しく疲弊しており、軍勢不足に陥っていました。




これを解決するため、彼氏は韓信の率いていた軍をまるごと奪うという行動に出たのです。


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To settle this, he got into the action from which the army Han Shin led is taken away wholly.




そして劉邦は軍の一部を韓信に与え(もともと韓信の編成した軍なのですが)、残る斉の国を攻めるようにと命じます。



韓信はこれに逆らわず、言われるがままに減少した軍を率いて斉に向かいます。




もともと韓信は身一つで劉邦に仕えた身分ですので、軍勢を取り上げられても文句は言えません。


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Han Shin is the status serviceable for Liu Fang by one body originally, so even if an army can be taken up, it isn't possible to disobey.




しかしながら、これまでも韓信は機を見て劉邦に援軍を派兵しており、にも関わらず行われた劉邦の乱暴な措置に対し、思うところもあったようです。


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However, Han Shin even is seeing a machine and is sending reinforcements to Liu Fang this, and though there seems to have been discontented dissatisfaction to Liu Fang's performed rough measure.





 


出典サイト


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変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(6) [いろいろ出合い]

変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(6)

別働隊として西魏に出合い遠征を行う



まず劉邦(英語訳 Liu Bang)自身が主力として項羽(英語名 Xiang Yu)と対戦し、その戦力を滎陽方面に引きつけておきます。

同時に韓信(英語 Han, Shin)が別働隊を率いて遠征し、中国北部にある諸国を平定して劉邦の陣営に組み込んでいく、というものでした。

まずは滎陽から近い西魏という国を討つことになり、韓信は張耳(ちょうじ)と曹参という武将を副将として討伐に出発します。

ここで韓信は西魏を降すにあたり、川を利用した奇策を用います。

まず川を挟んで敵と対峙し、その主力を引きつけておきます。

その一方で別働隊を派遣し、敵の目の届かない地点で渡河させ、敵の本拠地を急襲してこれを奪ってしまいました。

本拠を失った敵軍は慌てて退却し、それを追撃した韓信はあっさりと西魏を征服します。

この時に韓信は「木おう」という木製の桶を使っていかだを作らせ、船を用意することなく軍を渡河させています。

別働隊のために船を用意すれば敵に察知されたでしょうが、木おうを用いていかだを作って川を渡る、という奇策によって敵の意表をつき、鮮やかに勝利をおさめることができたのです。

韓信はもともと川沿いの街の出身だったこともあってか、川を活用した作戦の立案を得意としていました。


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変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(5) [出合い系]

変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(5)

五十六万の軍で彭城を制する

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関中を手中に収めた劉邦(英語訳 Liu Bang)は、各地で項羽に対して反乱を起こし、自立している勢力と同盟を結び、五十六万と称した大軍を編成します。

そして項羽(英語名 Xiang Yu)の居城である楚の彭城に向けて進軍し、これを占拠します。


この時に項羽は中国の北東部にある斉の国で起きた反乱を鎮圧するために出陣しており、空き城を占拠したことになります。

しかし劉邦軍は大軍であるとは言っても雑多な寄り合い所帯に過ぎず、統制が取れていませんでした。

劉邦が盟主であるというだけで、さほど戦力の変わらない諸侯が集まっていたため、韓信の指揮も行き届かない状態になっていました。

彭城を陥落させた諸侯はいい気になり、宴を開いたり財宝を奪うなどして過ごしている内に、彭城を奪われたと知った項羽が、数万の精鋭を率いて引き返してきます。

そして五十六万の軍はただの一戦で打ち破られ、劉邦軍は散り散りとなって逃走しました。

韓信(英語 Han, Shin)も指揮を取るどころではなく、敗軍をまとめて滎陽(けいよう)という地で劉邦と合流します。

連合軍では項羽には勝てないと悟った劉邦陣営は、軍師である張良が中心となって新しい作戦を立て、それを実行に移します。

その鍵となるのが韓信の存在でした。


出典
まゆみの 英語会話教材の選び方&勉強法

  

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変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(4) [いろいろ出合い]

変なのっ!国士無双の大将軍 韓信(4)

大将軍・韓信~関中を制する


韓信(英語 Han, Shin)の見立てのとおり、関中を分割支配する三人の王はその領民たちに恨まれていました。
そして領民たちは、劉邦軍が侵攻してくるとこれを歓迎します。
この事態には伏線がありました。
関中の三人の王たちは、かつて共に秦軍を率いていた将軍たちでした。
彼らは秦の末期に各地で起きた反乱を討伐するため、二十万の軍を編成し、その戦力で反乱軍を次々と討ち破って行きます。
この中には項羽(英語名 Xiang Yu)の叔父である項梁(こうりょう)も含まれています。
しかし三人は項梁の後を継いだ項羽と対戦して敗れ、降伏します。
項羽は結果として二十万にものぼる大量の捕虜を得てしまうことになり、この処遇に悩まされました。
項羽軍は三万程度の軍勢でしたから、自軍をはるかに上回る数の捕虜を抱えればその統制に困難を来たしますし、食料の確保も大変です。
項羽は結局、この二十万の捕虜を皆殺しにすることにしました。
夜間に捕虜たちを襲撃させ、三方から囲んで崖のある方へと追い込み、そこに投身させることで殺害してしまったのです。
これによって秦の民が数多く失われたことになり、それでいながら指揮官である三人だけが生き残りました。
そのうえ秦が滅んだ後で項羽から関中の王に任命され、自分たちだけが出世して支配者として戻ってきたのです。
項羽も恨まれたでしょうが、この三人の王たちもまた、秦の民衆たちに深く恨まれました。
一方で劉邦(英語訳 Liu Bang)は、以前に関中を占領した際に乱暴を働かず、秦の厳しい法律を緩和する方針を発表していたため、関中で人気がありました。
そのような背景があったので、劉邦軍の侵攻は歓迎され、その軍を見かけても三人の王に通報する者もいませんでした。
劉邦軍に野戦で敗れると、彼らはすぐに追いつめられ、やがて自害して滅亡します。
こうして劉邦は難なく関中の地を手に入れることに成功します。
韓信にとっても、これがはじめての大きな成功になりました。

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